町指定史跡 三好長治終焉の地(みよしながはるしゅうえんのち)

公開日 2016年01月01日

 三好長治は、16世紀の中ごろに活躍した戦国時代の武将です。勝瑞城(しょうずいじょう)に拠点を構えて、阿波・讃岐・淡路三国の政治を行い、また畿内で戦う三好三人衆を助けて、松永久秀・織田信長に対抗するなど、すぐれた武将として名が知られています。
 しかし、元亀3年(1572年)に、あやまった噂から家臣の篠原長房を滅ぼし、みずからの政治力を低下させました。また、阿波の民衆をすべて日蓮宗に改宗させようとした「法華騒動」をおこし、民心の反発をかいました。
 天正5年(1577年)、荒田野(現在の阿南市新野)で謀反した家臣たちと合戦になり、勝機なく退却することになりました。途上で敵の猛追にあい、淡路へ逃れる途中の別宮浦(べっくうら/現在の松茂町長原と豊岡の境)で自刃しました。

 

 
所在地 松茂町招魂社付近
管理者 松茂町
指定年月日 昭和53年9月9日
散策ガイド
  • 豊岡開拓碑―(境内を歩いて)―三好長治終焉の地 約1分(0.1km)
  • 三好長治終焉の地―(県道古川・長原港線を歩いて)―長原若宮神社 約18分(1.1km)
近隣の見どころ

◆松茂町招魂社(豊岡神社の南隣にあります)
 明治39年(1906年)に、日清・日露戦争の戦没者を祀る「松茂村忠魂碑」が豊岡山ノ手に建立され、その後、昭和4年(1929年)に、周囲を拡張整備して「松茂村招魂社」となりました。戦後は、社殿の保護のために鞘堂が設けられるなど、遺族会などによる整備が行われています。

 

三好長治終焉の地(みよしながはるしゅうえんのち)

お問い合わせ

総務課
TEL:088-699-8710