公開日 2016年01月01日
豊岡神社の境内の建つ「豊岡開拓碑」は、江戸時代後期の文政7年(1824年)に建立され、宮島浦(現在の徳島市川内町)の庄屋・坂東茂兵衛が資金を出して、享和元年(1801年)3月から約7か月間の突貫工事で新田を完成させた歴史を記しています。しかし、和泉砂岩(いずみさがん)/(いわゆる「撫養石」)で作られているため、風化が早く、すでに明治末期には表面の一部がはがれ落ちていたようです。そのため地元の人々は、「石碑を風化させても、先人が開拓した労苦の歴史を風化させてはならない」と考え、大正11年(1922年)に、県内で漢文教育の第一人者であった岡本由喜三郎(旧制徳島中学校《現在の城南高校》の漢文教師)に、碑文の扁額への転写を依頼しました。
年代 |
石碑:文政7年(1824年)11月建立 |
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所在地 | 豊岡神社境内および集会所 |
所有者 | 豊岡神社氏子中 |
指定年月日 | 昭和53年9月9日 |
散策ガイド |
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近隣の見どころ | ◆松茂町大手海岸(空港滑走路の南北に広がる海岸です) 北は旧吉野川河口から、南は今切川河口にいたる延長4キロメートルの紀伊水道に面した海岸で、通称「月見ケ丘海岸」とも呼ばれ、古くから淡路島・沼島を臨む風光明媚な地として知られています。 『板野郡誌』によれば、鎌倉時代には土御門上皇(1195年〜1231年)が、室町時代末期には連歌師の宗祇法師(1421年〜1502年)が、この海岸で歌を詠んだと伝承されています。平成19年(2007年)に、空港滑走路南側に新設された月見ヶ丘海浜公園には、土御門上皇の歌碑が建立されました。 |