公開日 2016年01月01日
江戸時代の中喜来の歴史は、関東売り藍商として隆盛を極めた藍商・三木與吉郎家を抜きにして語ることはできません。阿波国内で手広く藍を買い付けた三木家は、本家の敷地内で「すくも」や藍玉に加工し、廻船で江戸へ送って商売をしていました。中須入江川(なかずいりえがわ)や旧吉野川をひんぱんに船が行き交う風景は、中喜来の繁栄のシンボルだったのです。
中喜来春日神社に残る奉納船(長さ245.0センチメートル、幅74.3センチメートル)は、船底外面に「御宝」の文字があり、春日神社の氏子たちが、ふるさとに大きな富をもたらす廻船の安泰を祈って奉納したものです。
年代 | 明治4年(1871年)3月奉納 |
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所在地 | 中喜来春日神社 |
所有者 | 中喜来春日神社氏子中 |
指定年月日 | 昭和61年3月25日 |
散策ガイド | 中喜来春日神社―(玉垣に沿って歩いて)―呑海寺 約1分(0.1km) |
近隣の見どころ | ◆中喜来春日神社(中喜来観音堂の東側にあります) 天正2年(1574年)に創建されたという説もありますが、確かな記録によると寛永17年(1640年)ごろ社殿が造営されたようです。はじめのころは社殿といっても小さな祠(ほこら)で、呑海寺(どんかいじ)(長福寺)の住職が祭主を兼ねていました。明治になって「神仏分離令」(神社と寺を明確に分ける法律)が出されたのに伴い、呑海寺から分かれ、現在の境内が定められました。 |